「蒸気機関車がいた時代」

久大線・夏 その1 豊後中村・由布院

久大線(Wiki)は九州でも一番好きな路線だった。理由は自分でもよく分からない。もともと九州は北海道と同じく大好きなところで、他にも筑豊界隈、肥薩線の矢岳越え、鹿児島本線南部なども好きだったが久大線だけは特別だった。
撮影した場所は夜明から庄内の間で、殆んど全ての駅に下車したことがある。数えてみたら、久大線の撮影は昭和39年12月から昭和44年3月までで延べ22日間もあり、路線別では九州では一番多いことに気がついた。
沿線は美しい山村が多く、山あいの玖珠川の渓谷を次々と渡る橋梁群、大分川の河岸段丘沿いの道、広やかな由布院盆地、途中の豊後森機関区など変化に富んでおり、さらにD60(Wiki)という機関車そのものが好きだったことも理由の一つかもしれない。

ここでは夏の湯平、南由布、由布院、豊後中村での写真を掲載しました。
(このあたりは大分側から、庄内、湯平、南由布、由布院、野矢、豊後中村と駅が並びます)

※本来は「久大本線」ですが「久大線」の方が沿線の魅力を伝えるにふさわしいと思い「久大線」としました。
※登場する機関車は全てD60です。
※「久大線の8620」というタイトルで夜明-豊後森間の8620型機関車のみで2012. 7/1~10/31に展示しました。
※初期の頃は真夏に行くことが多かったので、「久大線・夏」を2回掲載しその後秋、冬を4回程度に分けて掲載する予定です。

撮影・著作権者: 堀越庸夫 様 東京都在住

http://locomotivesteam.web.fc2.com/

堀越 様のご厚意により転載させていただきました。著作権者様に無断での写真利用はご遠慮くださいませ。

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豊後中村-引治 【昭和43年7月】
蒸し暑い日の午後、大分行き普通列車が行く。向こうに見える万年山(はねやま:Wiki)が独特の山容を見せている。
※9/6訂正:これと次の写真は、当初「豊後中村-野矢」と記載しましたが大分市のW様よりご指摘があり、「豊後中村-引治」の第一野上川橋梁を渡る場面と判明しました。最近の同アングルでの写真(背後の山の形が完全に一致。さらに画面左の茅葺き屋根の民家がトタン板を被せそのままの形で現存。)も添えていただきました。W様ありがとうございました。

 

02

豊後中村-引治 【昭和43年7月】

 

03

豊後中村-野矢 【昭和43年7月】 連続写真1/6
「日田杉」で有名な日田が近いせいか沿線には杉林が多かった。こうして画面で見ると素人目にもよく手入れされているように見える。

 

04

豊後中村-野矢 【昭和43年7月】 連続写真2/6
大分行き普通列車が水分峠に向けて急勾配をゆっくりと登る。既に十分な蒸気ができているようで安全弁を噴き上げながら進む。
手前の乾いた砂利道は国道210号線、ここは何回も行ったところだが殆んど車を見かけたことがなく、まだまだ鉄道の役割が断然大きい時代だった。

 

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豊後中村-野矢 【昭和43年7月】 連続写真3/6
茅葺きの農家がたくさんあった。規則正しいブラスト音が山峡に響く。

 

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豊後中村-野矢 【昭和43年7月】 連続写真4/6

 

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豊後中村-野矢 【昭和43年7月】 連続写真5/6

 

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豊後中村-野矢 【昭和43年7月】 連続写真6/6
水分峠手前の野矢に向かって上る。水分峠はその名の通り、西の玖珠川から筑後川に落ちる水と東の大分川に流れる水との分水嶺である。
最新の地図を見ると、この画面の線路の向こう側のやや高い位置を大分自動車道(Wiki)が走っているようだ。

 

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湯平-庄内 【昭和43年7月】
気温がぐんぐん上がってきた。25‰の急勾配だが機関助士の腕もよくブラストの音だけが響く。列車の奥に見える国道210号線を走る車から土ぼこりがたっている。線路の右側は大きく落ち込んでおり、底に大分川が流れている。そして川の対岸は棚田がかなり高いところまで続いている。
久大線は向之原を出ると大分川の河岸段丘と折り合いをつけながら、盆地の入り口南由布まで延々と急勾配が続く。駅の標高は庄内207m、湯平320m、盆地の入口の南由布457m、由布院は453m、そして久大線でもっとも標高が高い野矢駅は543m。
この場所が気に入り、のちに寒い季節に2回程行くことになった。

 

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南由布駅 【昭和43年7月】
ほっとするような夏の夕暮れ、長い勾配を上り切った列車は交換待ちで盆地の入り口南由布駅に停車中。
豊後富士とも呼ばれる由布岳(標高1583m)が独特の山容を見せる。

 

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南由布駅 【昭和43年7月】
待機しているのが18:13発の久留米方面行き636列車、到着するのが18:23発の大分行き637列車。637列車は南由布で636列車の続行で来る612D急行「由布」も待合わせる。

 

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南由布-由布院 【昭和42年7月】
夕方になってもまだ暑く窓もデッキも開けっぱなしだ。久留米方面行き普通列車が間もなく由布院に到着。

 

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由布院-野矢 【昭和42年7月】
水分峠を越えてきた大分行き普通列車が由布院盆地に駆け下る。 当時の日本で最も有名だった観光道路は「やまなみハイウエイ」(Wiki)かと思うが、その道路は別府を出てこの写真の山塊の向こう側を登り久大線の水分トンネルの上を通り南へ進路を変える。そして久住高原、阿蘇へと続いており当時の新婚旅行の定番コースでもあった。

 

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由布院-南由布 【昭和42年7月】
※8/29訂正:当初、「由布院-野矢」と記載しましたが大分市のW様よりご指摘があり「由布院-南由布」の平(たいら)踏切付近での撮影と判明しました。最近の同アングルでの写真(背後の山の形が完全に一致)も添えていただきました。W様ありがとうございました。

 

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由布院-野矢 【昭和43年7月】
緑が美しい夏の由布院盆地を水分峠に向けて上 る久留米方面行き普通列車。久大線は盆地の幅を一杯に使いU字形にカーブしておりU字の頂点に由布院駅がある(画面の左側)。画面の奥の方には由布院駅を 出て南由布に向かう線路も見える。標高453mの由布院駅から最高地点である水分トンネル(全長 約1900m)の中に位置する海抜607mのサミットまで実に154mも上ることになる。
勾配を緩和するためのようにも見える大きなU字カーブだが、盆地の切れ目が大分川が流れ出る盆地南西にしかなく由布院温泉が盆地の東側にあるのでこれしかないという線路配置である。

 

32

由布院-野矢 【昭和43年7月】
茅葺きの美しい民家が7軒ほども見える脇を水分峠を越えてきた大分行き普通列車が由布院駅に向かう。稲の育ちもいいようだ。

 

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由布院駅 【昭和43年7月】
朝の由布院駅に久留米方面行き普通列車が到着した。 この時間帯の降車客は観光客ではなく通勤の人々か。
右は7:25発の久留米方面行き628普通列車、左は昨夜大分から着いて由布院で一夜を過ごした7:38始発の大分行き625普通列車で、D60がバック運転で大分へ向かう。

 

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由布院駅 【昭和43年7月】 連続写真1/4
この当時はまだ別府の方が断然有名で由布院は 別府の奥座敷とも言えたが殆んど無名ののんびりした温泉場だった。当時の日本一の観光道路「やまなみハイウェイ」がこの盆地を通らなかったこともその原因 だろうが、それが幸いして更に地元の努力もあり、後年ひなびていながら素晴らしい環境の温泉地として一躍脚光を浴びるようになった。

 

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由布院駅 【昭和43年7月】 連続写真2/4】
安全弁が噴き上げた直後にガタンと信号機の腕木が下りた。

 

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由布院駅 【昭和43年7月】 連続写真3/4
4分の停車で水分峠に向けて628列車が発車、蒸気も十分に出来ており安全弁が噴いたまま。
画面右端の転轍小屋は九州の標準仕様で、寒冷地とは異なり前面開放形だ。

 

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由布院駅 【昭和43年7月】 連続写真4/4
水分峠に向けて発車。

 

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由布院駅 【昭和43年7月】
腕木式信号機の保守用の細いハシゴをから覗いてみた。

 

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由布院駅 【昭和43年7月】
入換え中。

 

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由布院駅 【昭和42年7月】

 

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由布院駅 【昭和43年7月】

 

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由布院 【昭和43年7月】
朝の大分行き普通列車。今日も暑くなりそうだ。
由布院盆地が朝霧に覆われるのは晩秋の冷え込んだ朝で、夏場は見られない。

 

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由布院-南由布 【昭和43年7月】
久留米方面行き普通列車が由布院に接近。

 

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由布院-南由布 【昭和43年7月】
大分行き普通列車が由布院駅を出て南由布に向かう。

 

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由布院-南由布 【昭和43年7月】

 

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由布院駅 【昭和42年7月】
暑かった夏の一日もやっと暮れてきたがまだまだ空は明るい。

「久大線・夏」は次の機会に「久大線・夏 その2 豊後森・杉河内」を掲載します。

久大線は夏以外の季節で別に4回ほど掲載を予定しています。

【一部の写真が表示されない場合は「再読み込み」してください】